ベンチとコーヒー

彼の姿を初めて見掛けたのは、この軍には似つかわしくない色とりどりの花を育てている温室の一角にある古びた木製のベンチでだった。
彼はただただ静かにそのベンチに深く座り込み、温室にいっぱいに散らばっている花々を懐かしげに、愛おしげに眺めているのだった。温室には他には誰の姿も見受けられない、彼だけがこの空間に独りきりであった。私は自分の軍の士官学校の生徒である彼に声を掛けるのを躊躇う、邪魔をしてはいけない気がした。何故だか、今は彼の神聖な時間の間へと入り込んではいけない気がするからだ。彼に気付かれないように 息を潜め 気配を殺し 花々に隠れて彼の横顔を覗き見る。
双子の弟のものとは違う、短いけれど柔らかそうな漆黒の髪から覗くまだ少年のようなあどけなさの残る横顔。彼は、この南の島々にしか咲かないであろう花たちにどんな感情を抱いているのだろうか?何か特別な思い入れがあるように見える。
ああ、そういえば。軍への入隊志願書に南の国の出身者が居た、ああ、そうだ彼だった。志願書に貼られた小さな写真は確かに目の前に居る彼だった。
名前はなんといったかな?
「・・・そうだ、ジャンくん・・・だよね?」
私は声を発し、同時にベンチに座っている彼の目の前に姿を現した。声はちゃんと彼に聞こえていたようだ、ワンテンポ遅れて振り返ると私の顔を見て目が零れそうな位に丸く見開いている。
「あ、ま・・・マジック総帥っ!?」
何故総帥がこんな所に?とも言いたげな声と驚いた表情につい小さく笑いを零してしまう。そんな私を見てジャンは罰が悪そうに眼を泳がせた後にはっとし、ベンチから慌てて立ち上がると私に向かってピシリと敬礼をした。目の前に突然トップである人物が現れたにも関わらず、ジャンは驚いてはいるが怖気づいた様子などはなかった。なかなか度胸のある子なのだなと率直に思った。
「ああ、今はそんなにかしこまらなくてもいいんだよ。今いるこの場所はプライベートな空間みたいなものだから、それとも君の邪魔をしてしまったかな?」
私が言えば、彼はとんでもないとばかりに首を左右に振る。
「いえ、そんなことは・・・。ただ、自分の居た国にある花がここにあったからつい懐かしくて眺めていただけなので」
はにかみながらそう言葉を返してきた。照れくさそうに、恥ずかしそうに言う彼になんとも不思議な感情が湧くのが解った。彼には何処か人を惹きつける魅力を感じる。
「そうなのか。君は南の方の出身だったね、ここは私の趣味で作らせた場所だ。ゆっくりしていくといいよ。そうだ、コーヒーでも如何かな?」
私はジャンの背後を指差した。その奥の温室の隅にある一角に、自動販売機が設置してある。ジャンは私の指先を追うように「コーヒーですか?」と返事を返しながら自動販売機へと視線をめぐらせた。
「そう、コーヒー。来なさい奢ってあげよう」
私は言うなりジャンの手を取って自動販売機へと歩き出した。ジャンは心底驚いたようにまた目を丸くさせたが、大人しく私に手を引かれたまま歩幅を合わせて付いてきた。彼の手は思ったよりも細かった。
「どれがいいかな?」
自動販売機へコインを投入させてからジャンを振り返る。頭一つ小さい彼は私を見上げてから困ったように笑っている。
「なんだかすみません。じゃあ、ええと・・・これを」
彼がボタンを押せば、ピッと機械音がして受け取り口に紙のカップが滑り落ちてきた。彼は甘党なのだろうか、カップの中にはカフェオーレが注ぎ込まれている。全て注ぎ込まれればまた機械音で知らせが入る。屈みこんでカップを取り出すと「熱いから気を付けるんだよ」とジャンにカップを手渡してやった。
「すみません、ありがとうございます」
ぺこりと小さく頭を下げてから大事そうにそれを両手で受け取る。そして私を見上げて、今度は嬉しそうに微笑んでくれた。私はその笑顔に一瞬胸の動機が早くなるのを感じていた。しかし、そんな事は当然表には出さず。ポケットからまたコインを取り出して投入し、今度は自分用にブラックコーヒーのボタンを押した。先程と同じ様にカップが滑り落ちてくれば八分目位までコーヒーが注がれ、それを取り出す。
「少し一緒しても良いかな?」
私は少し屈んでジャンの顔を覗き込むようにして問いかけた。もう緊張は大分ほぐれたらしい、彼は笑顔で「良いですよ」と返してくれた。
私は再びジャンの手を取って古びたベンチへと歩き始める。
そうしてベンチに辿り着くとジャンを座らせて隣に自分も腰を下ろした。それから、二人で紙のカップに入った温かなコーヒーを飲みながら彼の異国の地の話を色々と聞いたのだった。
あの花はハイビスカス、これはブーゲンビリア、ファレノプシス・・・色んな花を教えてもらい。彼の国の太陽の眩しさや、海の壮大さ、熱い砂浜、水平線に沈む夕陽の美しさの話を沢山聞いたのだった。故郷の話をする彼は嬉々として楽しそうで、一番の笑顔を見れたのではないかと思った。私は相槌を打ちながら、彼の声に聞き入りながら、初めて逢った彼を愛しく感じていたのだった。
「君の故郷はとても良い所なんだね。いつか行ってみたいものだね」
一瞬彼の表情が曇った、と思った次の瞬間にはジャンは笑顔で
「はい、是非一度来てみて下さい。きっとお気に召してもらえると思います」
と、嬉しそうに言うのであった。さっきの表情は私の思い違いなのだろうか。
長い時間話し込んで居たようだった、カップの中のコーヒーは温くなっていて美味しさが半減されてしまっている。私とジャンはカップの中身を同時に飲み干し、ベンチの傍にある屑入れにそれを投げ込んだ。
「今日はコーヒーまで奢っていただいてありがとうございました」
深々とお辞儀をする彼を私は笑顔で見つめていた。
「こちらこそ、良い話を聞けて良かったよ、ありがとう。また今度コーヒーをご馳走してあげるからね」
顔を上げたジャンの頬へと手を滑らせて、軽く撫でてからすぐに手を離した。
ジャンは触れられた頬に軽く手を当てて、また嬉しそうに「はい」と返事を返してくれた。
「それじゃ、失礼します」
凛とした声で言うとまたお辞儀をし、温室を去って行った。


「私とした事が、迂闊だったかな・・・?」
誰も居なくなった温室で独り呟きを漏らす。あんな子供に。私は、一体どうしてしまったというのだろう?
でも、楽しみが出来た。また彼とここでコーヒーを飲もう、この古びた木製のベンチに座って。
彼の異国の地の話を聞きながら。
ゆっくりと温かいコーヒーを飲もう。それが今の私の唯一の楽しみになるのだろうから。













小説の終わり方って難しいYO。
マジジャンです、あららら。
パパがジャンに出逢った時のお話(捏造)パパから好きになってくれたらいいな〜と妄想しつつ。