甘えたいとき

「参ったね」

自分しか居ない広い私室には、当たり前だが私の声しか響かない。
しかしその声もうまく出す事が出来ずにいた。

扁桃腺が腫れているのか、喉が狭まっているし、熱いし、痛い。
身体の節々も痛いところから察するに、これから熱が出るのだろう。

「ああ、こんな症状・・・何年振りだろうか」

ソファに座り込んで額に手を当てる。
自分の手も熱くなっているのか、額から熱を伺おうとしたのだが無駄足に終わったようだ。
つい昨日まではピンピンしていた。

それが、たった一日でこの様とは。

「そういえば・・・」

思い出した。
昨日は秘書の一人がやたらと咳き込んでいたのを。
健康管理も仕事の内だと、その者を帰らせたのだが、どうやら風邪を移されてしまっていたようだった。

もう随分とそういうモノとは無縁だった所為か、いざ病気をすると弱いのか。
私はソファに座り込んだまま動けずに居た。

「今日は、ジャンが来るというのに」

このままではいけない、彼にだって風邪は移ってしまうかもしれない、断りの連絡を入れた方がいいだろう。

そう思ってはいるのだが、気持ちに反して身体は思うように動いてくれない。
そうして無駄な時間を過ごしてしまっている間に、約束の時間は来てしまった。

扉を二回、ノックする音が部屋に響き渡った。

その音に気付き、いつもの何十倍も重たく感じる身体をソファから無理矢理起き上がらせると扉へ向かい、ドアノブに手を掛けるとゆっくりと扉を開いた。

「やぁ・・・ジャン、いらっしゃい」
「マジック様?」

扉を開いた先には、愛しい人が立っていて。
いつものように声を掛けたつもりだったのだが、しゃがれた声になってしまっていて、いつもと違う様子の私に気付いたジャンが軽く首を捻って私を見上げている。
私はその様子を見て小さく笑ってから、だんだんと熱が上がってきた身体を扉に寄り掛からせ。無意識に少しでも負荷を減らそうと身体を動かしていた。

「ジャン、約束していて悪いんだが、今日はちょっと」
「あ、仕事・・・ですか?」
「いや、仕事じゃないんだよ。どうやら、昨日秘書の一人に風邪を移されたみたいでね、君に移るといけないから。今日は帰った方がいい」
「風邪、ですか?って、病気なら寝てなきゃ駄目じゃないですか!」
「そんな、大した事ないんだよ」
「顔、赤いですよ?いいから大人しく寝て下さい、部屋入りますよ」

私は帰った方が良いと言っているのに、ジャンはこんな時でも「失礼します」なんて礼儀正しく言いながら部屋の中へ踏み込み、体温が上がって来ている私の手を取った。
そしてその手が思った以上に熱かったのか、ジャンは私を見上げて驚いた表情を零しているではないか。

「熱あるじゃないですか、熱いですよ!」
「だから、移るから帰った方が・・・」
「俺の心配より先に自分の事でしょうが!」

ジャンは声を荒げ、私はそんな相手に怒られながら手を引かれるままにベッドルームへ。
そして一人で寝るには大きすぎるキングサイズのベッドへとそのまま押し込まれてしまった。






「38度4分・・・もう、何でこんなになるまで放っておいたんですか」
「放っておいた訳ではないんだよ。ただ気が付いたらこうなっていただけで・・・」
「言い訳はいいです」

ジャンにピシリと言われてしまう。
いつもとは逆な立場になってしまっている事に、私は思わず笑いが込み上げてしまい、ジャンに軽く睨まれてしまう。

「笑い事じゃないです」
「ああ、すまないね。つい・・・ジャンに怒られるなんてね、珍しかったものだからね」
「貴方が怒られるようなことしてるんですよ」
「解っているよ、すまないね」

ジャンはベッドの傍へ椅子をもって来ていてそこに座って私の様子を伺っている。
私の言葉にジャンは困ったような拗ねたような顔をして軽く唇を尖らせていた。

「あんまり、心配させないで下さい」
「私も、まさかこんな事になるなんて思ってなかったんだよ。もう何年も風邪なんて引いていなかったからね。でも、やっぱり勝てないものだね老いというものには。自分が思っているよりも、身体は正直だよ。もう歳なんだって、改めて実感させられてしまったよ」
「そんな事・・・」

ジャンは何て言葉を返していいのか解らない様子で、膝の上で両手を組んで俯いてしまった。
しかしすぐに顔を上げれば、椅子から立ち上がりベッドの脇へと腰を下ろす。

「俺に風邪が移るとか、いらない心配しなくていいです。もっと自分の身体を優先させて下さい、それに、俺だって看病位出来るんですから・・・ちょっと位、頼って下さいよ・・・・・」

そう呟きを漏らすジャンの声は何だか淋しそうで、それには私も苦笑を漏らす。

「そうだね、私がこんな事じゃいけないね」
「そうですよ、もっと自分を労わって下さい。それに、こんな時位、甘えて下さいよ」

ジャンはそう言うと、身体を屈めて私の額に軽く口付けを落として来た。
しかし、すぐに顔を離し、恥ずかしそうに私に背を向けてしまう。
私はそんな恋人の姿を愛しく思い、ちょっと小さく丸くなってしまっている彼を腰に腕を廻して抱き寄せる。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

存分に、甘えさせてもらおうかな。

抱き寄せたまま耳元で囁けば、彼はくすぐったそうに肩を竦めた。
それから頬に軽く口付けをすれば、すぐに顔に赤がさすのが伺えて私は無意識に微笑んだ。


4人兄弟。青の一族の長男に生まれた私は、責任感や使命感から他人に甘える事が出来なかった。
自分の親にでさえ、甘える事なんてほとんどなかった。
悲しくても、苦しくても、辛くても、全て自分の中で終わらせて来た。処理して来た。

けれど目の前に居る彼は、自分は甘えていいのだと言う。
こんな時位、自分を頼って欲しいのだと言う。

この歳になって・・・とは思うのだけど、そんな思いとは裏腹にひどく喜んでいる自分が居る。
他人に甘える事が出来るのがこんなに嬉しく思えるのは始めての事でもあった。
これははやり、相手がジャンだからだろうか、この世で最も愛しい君だからだろうか。

「ありがとう」
「礼を言われる事してませんよ。まだ看病も何もしてないのに・・・たまにはゆっくり休んで、早く元気になって下さい。今日は俺帰りませんからね、あなたの看病しますから」
「ありがとう、愛しているよ」

ジャンは答えず頷いて、私が廻している手に自分の手を重ねて優しく撫でてくれたのだった。










マジジャン。
風邪とか引いてジャンに叱られるパパとかどうかなとか思いまして。
マジジャンは甘々が大好きです。はい。